お盆に曹洞宗ではよく『お施食(せじき)』、ここ林泉寺では昔からの呼び『お施餓鬼(せがき)』法要をおつとめします。六道輪廻の餓鬼だけではなく、「三界萬霊、ありとあらゆる(目に見えないもの)」にも感謝・施しを通じて、御先祖の供養にあてるのです。その時に、お塔婆をお渡ししています。
お塔婆とは元来「ストゥーパ(仏塔)」と呼び、お釈迦様のお骨を納骨する為の建物を指しています。後に日本に渡り、お釈迦様の仏塔になぞらえてご先祖のお徳をたたえ、供養の心を簡易的な板で出来ているお塔婆で表しています。片面は供養の対象・もう片面は大日如来の梵字(大日如来様をそのものをお造りしています)。形は凸凹としていますが、これは「地・水・火・風・空(万物そのもの)」の表れです。法要後は、それぞれのお墓、又はお仏壇にお祀りしましょう。
お塔婆(卒塔婆)
版木の印刷を発注して出来上がってきた物を順次公開致します。
大部分は、林泉寺の末寺であります寳福寺(ほうふくじ)の版木印刷であります。
この寳福寺は薬師瑠璃光如来(お薬師さま)を御本尊としていることもあり、江戸時代は御祈祷済みのお薬を売っていました。今なら薬事法違反となるでしょう(笑)。
加持(かじ・御祈祷済ですよ)・霊薬(れいやく・不思議によく効く)・大濵村(おおはまむら・昔からのここの地名)・御薬調合所(おくすりちょうごうじょ・きちんとお薬作ってる場所ですよ)・寳福寺(ほうふくじ・宝の旧字)と書いてありますね。
御薬調合所
ご本尊さまは聖観世音菩薩坐像、右脇侍は毘沙門天、左脇侍は地蔵菩薩
聖観世音菩薩
寺伝では行基菩薩御作となっていますが、調査が待たれます。
仏教各宗派でそれぞれ拠り所にしている仏様がありますが、曹洞宗では、真ん中には、お釈迦さま、向かって右側には大本山永平寺の道元禅師さま、左側には大本山総持寺の瑩山禅師さまを指します。我々の檀信徒のお仏壇もこれにならいます。もちろんご自宅のお仏壇が前述と違いましても、全く問題はありませんし、今あるお仏壇を買い替えたり、洗い直したりする時にも、以前からお祀りしていた仏様を新しくする必要はありません。ご自宅を新築したり、リフォームしても、住んでいる人を新しくしないのと同じです。
道元禅師さまのお言葉「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」
瑩山禅師さまのお言葉「茶に逢っては茶を喫し、飯に逢っては飯を喫す」
中々このような境地には遠い感じがします。
私も一句 「東へふらふら 西へふらふら 毎日毎日 惰眠を貪る」
う~む 修行が足らん!
一佛両祖
我々曹洞宗の僧侶が身に着けるもので皆様の馴染みが深いものにお袈裟があります。
お袈裟にもその縫い方により七条衣・九条衣・二十五条衣などがありますが、一番簡略のものに五条衣(絡子:ラクスと読みます)があります。表側には曹洞宗の両大本山、永平寺・総持寺の紋があしらわれています。その下の部分が五つの区分で縫われていますので、五条衣と呼びます。ちなみに裏側の白い布の部分は自由に描いても良いのです。
ここには刈谷の松秀寺さまに書いて頂いた『花開必結真実(花開けば必ず真実を結ぶ):心の花が咲けば、つまり求道の心を起こせば必ず悟りを結ぶことができる。仕事に専念すれば必ずそれなりの成果を得ることができる。』という激励のお言葉を賜りました。
絡子の裏書き
今年も例年通り、境内が色づきました。色のグラデーションが見事です。
自然の贈り物に感謝であります。
眺めが良いのはあと半月ほどでしょうか。
ライトアップはしていませんが、いつでもどうぞ。
円空仏 十一面観音菩薩立像 現在は藤井達吉現代美術館に預けてあります。
身の丈 約25cmほどで正面の化仏が欠けているのが残念です。大きさが手ごろなので、念持仏として持ち歩いていたと思われます。
大般若会には本堂中央須弥壇上に十六善神様の掛軸をお祀りします。
まん中の仏さまはお釈迦さまで、お釈迦さまの右手前に、獅子にまたがっておられる仏さまは文殊菩薩、「三人寄れば文殊の智恵」といわれますように智恵を代表する仏さまです。左の方に、文殊菩薩と向き合って象に乗っておられる仏様は普賢菩薩です。文殊菩薩が仏様の智恵を代表するのに対して、普賢菩薩は仏さまの慈悲の象徴です。仏様の徳は悲智円満と申しまして、慈悲と智恵とを円満に備えておられるのです。その仏さまの徳を二人の菩薩さまがそれぞれ代表しておられるわけです。
次に、お釈迦さまの左右に八人づつ、剣や槍や斧などを持った恐ろしい顔をした方々が描かれておりますが、これは十六善神と申しまして大般若経を守護し、仏法を信ずる皆さまを護ってくださる方々のお姿です。このほか、やさしいお顔の法涌菩薩、泣き顔をした常啼菩薩、ともに大般若経に深い因縁のある菩薩さま方様です。
それから一番前の方、向って右に、お経を沢山背負ったお坊さんがおられます。このお方が大般若経をインドから中国に持ち帰って、漢文に翻訳された有名な玄奘三蔵法師(げんじょうさんぞうほうし)です。
玄奘三蔵法師と向き合って左の方に、シヤレコーベをネックレスのように首にぶらさげている赤鬼のような恐ろしい人がおりますが、これが深沙大王という悪魔の王様です。昔も昔、今から千年以上も前のこと、インドを天竺、中国を唐の国といった当時、唐の国からはるばる天竺に渡り、仏教を研究してお経をたずさえて帰る坊さんがあると聞くと、深沙大王は途中の砂漠に待ち伏せして、そのお坊さんを殺害し、仏教が外国に伝わることを妨害しておりました。ぶらさげたシャレコーベは、そうして殺したお坊さんの骸骨です。ところが玄奘三蔵法師が唐から天竺に渡り16年の間、仏教を研究し大般若経をはじめ、数多くのお経を持ち帰るとき、深沙大王は不思議にも悪心を捨てて善心を起こし、今までの悪魔が仏法の守護神にかわり、玄奘三蔵の一行を無事唐まで送り届けてくれたのです。そうした因縁により、深沙大王も仏法守護神の一員として祀られているのですが、この一事を以ってしても、大般若経の功徳力がいかに大きいものであるか、玄奘三蔵という人がいかに徳の高いお方であったかがわかります。