円空仏

円空仏 十一面観音菩薩立像 現在は藤井達吉現代美術館に預けてあります。
身の丈 約25cmほどで正面の化仏が欠けているのが残念です。大きさが手ごろなので、念持仏として持ち歩いていたと思われます。
円空仏

2019年3月2日 | カテゴリー :

宝福寺のよもやま話

宝福寺 林泉寺の五代目の山秀専海大和尚様が開かれたお寺です。

 林泉寺から宝福寺を見たら、宝福寺は末寺(まつじ)、宝福寺から林泉寺を見たら、林泉寺は本寺(ほんじ)と言います。一般の家で言うところの本家と、新家又は分家と言った関係です。

その宝福寺は、ご本尊さまは薬師瑠璃光如来、通称 『お薬師さん』です。

昭和の時代に建て替えられました。以前はお庫裡にご本尊さまを

初め多くの仏さまを安置していました。

江戸時代は威風堂々とした七間四面の本堂でありました。ご本尊さまがお薬師さまという事もあり、薬を調合しご祈祷をあげて、欲しい方にお分けしていました。今では薬事法違反ですね。その薬袋の版木がいくつか残っています。
信者さんも大勢あったようで、本堂から東に延びる道は宝福寺の「宝」を取って『宝通り(たからどおり)』と呼ばれていました。10年ほど前までは『宝通り』にちなんで、『宝屋さん』というお店もありました。
 それ以外に賭場、いわゆる公営ギャンブル場で、時代劇に出てくる「はんかちょうか」って言うサイコロを使った博奕で場所貸しをしていました。いつの時代もそうですが、地下に潜って違法行為をしないようにガス抜きの意味合いもあり、寺社の境内で公営ギャンブル場をしていたようです。また、その場所貸しの代金(ショバ代)の事を『寺銭(テラセン)』と言ってました。

 そのような宝福寺でありましたので、一時は大変勢いが良く金銭的に余裕があったようで、矢作川の河口付近を埋め立てて新田を造成する工事費用を出資しています。その新田の名前は「ちゃらんこ新田」と言い、その名前の通り埋め立てて新田ができる前に台風か何かの災害で堤防が決壊し、文字通り「ちゃら~ん」と海の藻屑となってしまったようです。現在の西尾市小栗新田がその後に出来上がった新田です。

昔の絵図面によりますと当時、本堂が建っていた場所は、現在の名鉄三河線の碧南駅より西に進んだところの道路の真ん中に建っていました。

当時の証文や境内図もありますが、それはまた後程アップしてみたいと思います。

 ところが、そのような隆盛を極めていた宝福寺でありますが、明治時代になりたまたま住職が東京の方に一時単身赴任していた頃、留守でもあるし役場から申し出があり貸していたところ、火事になりました。ご本尊さまやおもな仏さまは救出されましたが、それ以外の仏さまや重要な書類の全てが本堂と共に焼失致しました。当時のお役人の口約束では本堂を再建するという事でありましたので、火難にみまわれた仏さまは一時的に篤志家の方に守られたりしました。しかし約束は反故にされ、また、信者さんのお寺であり、檀信徒が無いお寺でありましたので、寄付をお願いする方もなく再建の道のりが遠く、仕方なくお庫裡に仮安置するという事になりました。昭和60年頃に林泉寺18世によりお庫裡の痛みが激しくて、取り壊し、仮の本堂という事で現在に至っています。

清気散

清気散

清気散

清気散

一 くだり しぶりはらに よし

一 ひき風 ねびへ風に よし

一 づつう 目まい 立くらみに よし

一 暑気あたり かくらんに よし

一 しやくつかへ しよくあたりに よし

 

但し一ふくを一度に用べし

くだりはらには めしのとりゆにて

用ゆべし

何にでも効きそうですね(笑)

十六善神(大般若の掛軸)

十六善神大般若会には本堂中央須弥壇上に十六善神様の掛軸をお祀りします。
まん中の仏さまはお釈迦さまで、お釈迦さまの右手前に、獅子にまたがっておられる仏さまは文殊菩薩、「三人寄れば文殊の智恵」といわれますように智恵を代表する仏さまです。左の方に、文殊菩薩と向き合って象に乗っておられる仏様は普賢菩薩です。文殊菩薩が仏様の智恵を代表するのに対して、普賢菩薩は仏さまの慈悲の象徴です。仏様の徳は悲智円満と申しまして、慈悲と智恵とを円満に備えておられるのです。その仏さまの徳を二人の菩薩さまがそれぞれ代表しておられるわけです。

次に、お釈迦さまの左右に八人づつ、剣や槍や斧などを持った恐ろしい顔をした方々が描かれておりますが、これは十六善神と申しまして大般若経を守護し、仏法を信ずる皆さまを護ってくださる方々のお姿です。このほか、やさしいお顔の法涌菩薩、泣き顔をした常啼菩薩、ともに大般若経に深い因縁のある菩薩さま方様です。

 それから一番前の方、向って右に、お経を沢山背負ったお坊さんがおられます。このお方が大般若経をインドから中国に持ち帰って、漢文に翻訳された有名な玄奘三蔵法師(げんじょうさんぞうほうし)です。

玄奘三蔵法師と向き合って左の方に、シヤレコーベをネックレスのように首にぶらさげている赤鬼のような恐ろしい人がおりますが、これが深沙大王という悪魔の王様です。昔も昔、今から千年以上も前のこと、インドを天竺、中国を唐の国といった当時、唐の国からはるばる天竺に渡り、仏教を研究してお経をたずさえて帰る坊さんがあると聞くと、深沙大王は途中の砂漠に待ち伏せして、そのお坊さんを殺害し、仏教が外国に伝わることを妨害しておりました。ぶらさげたシャレコーベは、そうして殺したお坊さんの骸骨です。ところが玄奘三蔵法師が唐から天竺に渡り16年の間、仏教を研究し大般若経をはじめ、数多くのお経を持ち帰るとき、深沙大王は不思議にも悪心を捨てて善心を起こし、今までの悪魔が仏法の守護神にかわり、玄奘三蔵の一行を無事唐まで送り届けてくれたのです。そうした因縁により、深沙大王も仏法守護神の一員として祀られているのですが、この一事を以ってしても、大般若経の功徳力がいかに大きいものであるか、玄奘三蔵という人がいかに徳の高いお方であったかがわかります。

版木3 奇應丸

奇應丸

奇應丸

「ヒヤ、ヒヤ、ヒヤの、ひや・きおーがん」のコマーシャルソングを思い出します。樋屋奇応丸。この奇應丸が、寳福寺でも売られていたとは江戸時代でもかなり人気のお薬であったんでしょう。

後ろの方に出てきますが、牛や馬にも効くっておもしろいですね。

本          加持霊薬            奇應丸                一粒六文            十粒入六十文

一 第一 気つけどくけし しよくしやう はらいた

一 むぢ しやく くわくらん 下りはら しぶりはら

一 とんしのものは はらに少しあたたみあれば  よみがへるべし        一 気のつきたる又おこりに用いて よし

一 なんざん子の生れかねたる によし 又ゑなの  おりぬ によし 血のぼり 気ちがひたる によし

一 きんそう 血どめにはかみくだき付て よし        一 小児きやう風 五かんに妙薬なり

一 ほうそう はしかに用ひ妙薬なり      一 牛馬のなやみにもちひてよし

當山秘方薬師如来

加持霊薬功能異他

三州大濱            寳福寺製

道元禅師御一代掛軸

毎年9月28日 林泉寺においては恒例行事であります。御開山忌法要・秋季檀信徒供養法要が修行されます。その際、曹洞宗の開祖であり、永平寺を開かれたました道元禅師の御一代記の掛軸を本堂に掛けます。この掛軸は箱書きによりますと江戸時代の文政7年(1824)、今から約190年前の掛軸となります。彩色も素晴らしく状態も良好です。現代と比べると、昔の人々は、灯りや道具や情報が限られているような環境でこのような素晴らしい作品が出来たという事は技術力・集中力・根気とすべてが我々より遠く及ばない程、力量のあるの職人さんが多かったと思われます。先人達の努力には頭が下がります。

道元禅師御一代記1

道元禅師御一代記1

道元禅師御御一代記2

道元禅師御御一代記2

焼香

仏教行事では焼香する事が多くありますが、皆さんは焼香をどのようにしてみえますでしょうか?

意味合いは、お亡くなりになられた方などに、香りをお供えをするという事です。

作法は実は宗派によって様々であります。曹洞宗では、まず御霊前などに向かい合掌礼拝をし、ひとつかみのお香を右手の親指・人差し指・中指の3本の指で自分の額の辺りまでつまみ上げ、お亡くなりになられた方の事を思います。その時に左の手を添えます。そして炭にくべます。再度、右手で同じようにお香をつまみ、2度目は左手は片手で合掌し、上に持ち上げずに、そのまま炭にくべます。2度目の焼香の事を従香(じゅうこう)と呼びますが、お葬式などの時には1度目の焼香で構いません。2度目は添えるという意味合いです。茶道の世界でもお抹茶茶碗を回しますが、やはり1度で回すのではなくて、2度目を添えます。日本人の奥ゆかしさを表現しているのです。

また、他の宗派では、3回の焼香をするところもありますが、心を込めてお供えをして頂けたなら、きっとお亡くなりになられた方に気持ちが通じていく事と思います。

焼香香炉

焼香香炉

木華(もっか)

木製で出来た華であります。蓮の華をさしています。蓮は泥水の中から茎を伸ばし大きな葉をたたえ、そして清浄な美しい大きな花を咲かせる姿がお釈迦様の智慧や慈悲の象徴とされ、お寺の中の様々な場所に使われています。

多くの仏像の台座には蓮華の形をしていますし、その仏像の前にこの木華(もっか)がみられます。ツボミ・満開・枯れている花や葉と様々な形になっていますが、生まれてきた物は必ず病気・老い・死から逃れられないこの世の理(こたわり)も現しています。

また蓮の華は泥の中でしか咲かないので、たとえ今自分の人生が泥の中のようであっても、良い事を真面目に続けて行けば必ず将来とても綺麗な花を咲かせられるということも教えているのです。

木華

木華

木魚

木魚とは字が示している通り、木製の魚の形をしたもので、お経を読むのに調子を取るものです。

なぜ魚かというと、魚は目を閉じてる事がないので、寝る間を惜しんででも、修行に励みなさい。という意味だそうです。

小さい頃は魚の形には到底見る事が出来ずに、骸骨みたいだな〜と思いました。骸骨の目に見える部分は魚の尻尾です。下の真ん中には二匹の魚が宝の珠をくわえているデザインになっています。

木魚

木魚

版木 萬金丹

版木の一つをご紹介します。昔「鼻くそ丸めて萬金丹」という言葉遊びがありました。小さく黒い形状で、現在も胃腸薬・整腸剤としてあるようです。

どうやら当時は万病に功能を発揮する妙薬であったもので、寳福寺(林泉寺の末寺)の御本尊 薬師如来さまのお力により、さらに霊薬として、販売されていたようであります。

版木があるところを思うとかなりの人気があって、販売数もかなりあったのでしょうね。

萬金丹

萬金丹

本          加持霊薬   萬金丹   一粒四文            一色四拾文

一 第一 気のつきたる によし

一 づつう めまい 立ぐらみ によし

一 さけのよいざめ によし

一 しょくつかへ はらのいたみ によし

一 ひき風 ねびへ風 によし

一 すべて万病の妙薬なり

當山秘方薬師如来 加持霊薬功能異他

三州大濱            寳福寺製